私は、空が好きです。
どんな時も、空を見上げると、とても落ち着いたり
暖かい気持ちになったりするんです。
私には、いくつかの風景があります。
空の風景が・・・。
その中の一つが、入院した病院の窓から見た
四角くて小さな空の風景なのです。
ちょうど、ジャズを歌うという仕事を始めて
2年目になろうとする頃でした。
とにかく何でもやりたい時でしたので、
ジャズのライブハウスを掛け持ちしたり、
弾き語りの仕事をしたり・・・・。
そんな時、「ポリープ」になってしまったんです。
もちろん発声も自己流でしたので、
喉にも負担がかかっていたと思いますが、
とにかく休む暇がなく、風邪をひいても無理して歌ってしまって・・・
入院した病院というのは、仙台でも街の中心地にある所で、
歌っていたすべてのお店からも、歩いて数分でした。
「入院中、飲みに来いよ !」
などと、お客さんやミュージシャンから言われているのを
知ってか知らずか、母は入院した日にさっさと靴を持って帰りました。
入院してすぐに、パジャマに着替えます。
それはまるで儀式の様で、その日から私は籠の鳥という立場に
甘んじて生きていける事を教えてくれました。
私のベットは窓際で、外が一望に・・・とは言っても、そこは中心地。
ビルとビルの間にほんの少し山が見え、
その上には東北大学の工学部の校舎がありました。
空はその上に広がり、縦長の長方形の空でした。
入院して2日後、私は手術を受け、20日間の沈黙を言い渡されました。
初めは苦痛だった沈黙も、規則正しい生活も
慣れてくれば、快適でした。快適・・・というより
日々の生活の怒涛のような流れからの開放感でしょうか。
毎日が、微笑みと穏やかな感情の中、流れて行きました。
拘束が、実は安息をくれるなんて思いもしなかった私でした。
毎日2冊本を読み、自分の中の自分と話し・・・
目を上げるといつもそこに空が横たわっておりました。
たくさんの色彩を持った空は、私の感情と共に
色を変えているようにさえ思えてきました。
それまでの私は、自分の信じた事に一心不乱に走り続けており
こんなふうに時を過ごす事を嫌っていました。
自分は、一輪車のような生き方しかできないと思っていましたから。
1日に数分でも空いた時間があると、不安でたまらないので
私のスケジュール帳は、いつも真っ黒でした。
まるで、若い漫才師のように間を取る事をせず話し続けるように・・・。
だから、もしかしたらそれがはじめて私が
たくさん空を見た時だったかもしれません。
入院した部屋には、私のほかに3人の女性がいました。
一人は上品なおばあちゃん、そして一つ年下で誕生日が同じ
スポーツクラブのインストラクターをしている子。
もう一人は、交通事故で一年近く昏睡していたという20歳の子でした。
みんなそれぞれ人生があるんだなあと、
まるで小説を読むようにみんなの話を聞いていました。
何しろ、ノートで話しているので、
自分について多くを語れなかったのです。
ノートで話すとういう体験は、いつものお喋りが
いかによけいな言葉を話しているかを教えてくれました。
ホントですよー ! 一度お試しあれ・・・
「明日、声を出していい日だよ、良くがんばったね。」
先生にそう言われ、言葉なく笑ってみせたもの
私の中に大きな不安が広がってきました。
もしも声が全く出なかったら・・・。
次の日の夕食後、私は廊下のつきあたりの椅子で
ぼんやり座っていました。
ちっとも思うように声が出ないのです。
かすれているだけじゃないんです。
ヒューと息が抜けるみたいで、
声帯をかすってしまっているようなカンジ・・・。
「座って、いいかしら?」
振り返ると、同じ部屋のおばあちゃんと、20歳の子が立っていました。
私は、声を出さずに仕草でどうぞと椅子を勧めました。
「どうしたの?声出してもいいのに・・・」
おばあちゃんの声に、 「だって、出ないんです・・・。」
私は、声とは思えないような音を発しました。
「あら、出てるわよ、大丈夫。」
「でも・・・」 私は、声を詰まらせてしまいました。
私の街が、だんだん滲んできました。
ライブハウスの明かりはあのあたりかなぁとぼんやり思いながら・・・
「今は駄目でも、きっと出るようになるわよ。
でも、ねぇ、ちゃんと解るわよ、あなたの言ってる事。」
おばあちゃんの優しい声に、私は心底、
ここから出て行きたくないと思っていました。
ベットに戻って、閉めてしまったカーテンをめくって外を見ました。
クリスマスの近い仙台は、もう冬景色。
真っ黒の地面にちらほら雪が降ってきました。
空は夜色になって、私を見ています。
私を見守ってきた、長四角の空とも明日でお別れです。
そう、明日は退院の日なのです。
こんな状態なのに、外に放り出すなんて・・・。
恨めしいようなキモチが、だんだん大きな不安に変わり、
この生活が、いかに甘美でニセモノだったか思い知らされました。
空・・・私がそこから見ていた空は、ガラス越しのフィクションでした。
小説が大好きになったこの20日間。
本当の人生が、小説よりもドラマチックで
苦しく美しいものという事も知りました。
体に入れた人工の内臓のせいでもう二度と走れないと言った、
20歳の子は、同乗していた友人が死んだのを知らず、
1年間眠りつづけました。
生死をさまよう手術の際、胸を切った時の傷を
綺麗にするために入院していました。
午前11時・・・母が買ってきた真新しい外の服に着替えると、
私の退院という儀式が始まって終わりました。
20日ぶりの外の空気は、さわやかで少し厳しく感じました。
空は相変わらず、私を包んでいました。
ガラス越しではなく、直接・・・・。